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終戦記念日

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今日はアメリカでは8月15日。終戦記念日の8月15日になると私は毎年祖父母のことを考えます。戦争という化け物によって人生をめちゃくちゃにされた人たちのことを。また、名前も知らないアジアの戦没者に思いを馳せます。化け物に取り憑かれた日本によって国、家族、そして自分自身達を破壊された被害国の人々のことを。今日叔父のfacebookでとても心動かされる記事を発見しました。即許可をとって英訳したのですが、もっと多くの人に知って欲しいとここに載せることにしました。水谷勇夫は私の祖父です。

「今年も8月15日がやって来ました。父、水谷勇夫が終戦記念日、(父はこの日を敗戦記念日とよんでいましたが)になると、必ず迎え火を炊いていたのを思い出します。空爆で亡くなった母の事を思い出していたのでしょうか。それとも戦地で亡くなった友人の事を思い出していたのでしょうか。父は時々戦地での出来事を家族に話してくれました。父は先の大戦で北支に通信兵としておくられました。あるときの行軍で、大雨で水かさが増した泥水の川を、人よりも重い荷物を担いで渡らなければならなかった事があったそうです。腰まで水に浸かり流されそうになりながら必死で川を渡っていたときのこと、後ろの中国人の苦力(クーリー)がバランスを崩して耐えきれずに川に流されたそうです。助けてくれと差し出す手をつかもうにも川の流れが早く、さらに自分も重い荷物を抱えバランスを崩したら一緒に流されそうななか、手を伸ばしても届かず、どうしても助けることができなかったそうです。泥水に沈んでゆくのをただただ見ているしかできなかったそうです。父はそのときのことを思い出しながら「悲しかった」と涙を流しながら話してくれました。翌日、資材調達の任務も負っていた父は、その川を再びとおったそうです。すると、水が治まった川の泥の中から、その苦力(クーリー)の手だけが、むなしく突き出ていたそうです。父がまだ20代の若者だった時のことです。

父の作品には度々、天をつかむように突き出された手のモチーフが出てきます。たぶんそのときの手が彼の心の中に、罪責感と共に刻み込まれていたのではないかと思います。父のせいではない、どうしようもなかったと頭では分かっていながらも、心の中では一生手を合わせていたのではないでしょうか。戦争はどちらの国が良いとか悪いとかではなく、戦争という手段そのものが間違っているのだと言っていました。多くの純粋で将来のある若者たちが、戦争の中で命を落としてゆきました。
今日は亡くなった父の代わりに、私がローソクの灯を灯して手を合わせました。二度と悲しい戦争が起ることがありませんように。」

祖父の作品は禍々しいものが多く、幼い私には刺激が強すぎましたが、今でもその作品の幾つかを覚えています。祖父は全人生をかけて、戦争反対と世界に訴えていました。もう亡くなってしまいましたが、祖父の思いは時空を超えて私や叔父にいま受け継がれています。
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