in Thinking out loud

20代を振り返り(長文です)

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今日30歳になりました。ちょっと今までの10年を振り返ってみたくなり、このながーーーーーい記事を書くことにしました。

私が20歳になったすぐの時にある人(年上だったのでたぶん30代でしたね)に「20代はあっという間に過ぎちゃうよ!!」と言われました。そのときの印象は”恐怖”。すぐ終わってしまうのかととても不安で身が引き締まり、まさしく反面教師

それから10年。その”とても早く終わってしまう”という20代を終えたのですが、私の感想としては、すご~く長い20代でした (。-_-。)10年というか20年か30年くらい長かった気分。

十年前は確か某有名大学の校風に憧れ、母に支えてもらいながら受験。見事玉砕。浪人人生。二年目も懲りなく挑戦。またまた玉砕。その時はそれまでの人生のある意味どん底

母に迷惑をかけた自分が情けないやら、悲しいやら。かなり精神的に来ていました。そのつらい時、母が見つけてきた9月入学があるある大学のオープンキャンパスを見つけてきました。気が進まないながらもその週末一緒に大学に見学に。桜がきれいな素敵な学校で、一目で気に入りました。その時にお会いした大学院の教授に招かれ新宿の大学院ゼミに次の週から通うことに。大学にさえ入っていないのに、大学院生に混じって難しい討論やちんぷんかんぷんの授業に参加させていただきました。いま考えるとその時から大学院へ進む道がちょっとずつ整っていたのかもしれません。
九月にAO入試で合格。晴れて大学生になりました。でも浪人+9月生(一緒に心理学科を始めたのは私を含めてわずか3人)。友達もできず最初はちょっと寂しくつらかったのを覚えています。その時に故郷に帰ってしまっていたジンバブエ人の友人が手紙をくれました。そこには私の辛い気持ちをまるで知っていたかのように”Stop playing as an adult!!”の一言が。背伸びするのやめなさい!その言葉に救われて、気が合わないきゃぴきゃぴ系のクラスメートとは付き合うのをやめ、自分に合う友達探しに。そこでであったのが留学生グループでした。短期で大学に留学に来ていた彼らと言葉は通じないにしろ、なにか気が合いそうな気が。その人たちと喋りたい一心で英語の会話練習を。大学で留学生向けの講義にも出席し、ようやく見つけた自分の居場所にい続けようと必死でした。大学三年ごろには私の交友関係は80%が留学生、後は留学生を通じて仲良くなった日本人でした。カウンセラーになりたいと思い始めたのは中学生でしたが、心理学を学んでも何かが違う、このまま就職しても納得いかない気がするとどこかで感じていました。シングルマザーだったので、経済的に安定はしていませんでしたが、奨学金と母の援助があって4年生で短期留学に行くことに。大周りが就活で忙しい時に私は初めてセントルイスへ。もう就活はしないものと決めていました・・・。

一年の短期留学は夢のような日々でした。私は専攻をジェンダーと決めて、今までにないレベルの英語のクラス。リーディングの多さ。結構辛かったですが、楽しかったです。でも留学が終わりに近づいても将来の展望は見えないまま。そんな悶々とした時にある日本人のカウンセラーに出会いました。セントルイスで働いている日本人の方に会ったのは初めてでした。それも私がやりたかったカウンセリング。日本での将来に限界を感じていた私はすぐに大学院について調べ、絶対にアメリカに戻ってくると勝手に決めて日本に帰国しました。

もちろん私のトンデモ決心に母は心配するし、その前に金銭的に無理だし、と前途多難だったのですが・・・私の真剣さに母も理解してくれ、また夢に向かって頑張ることに。父も金銭的援助をしてくれるということで、最初の一年の学費は得ることができ、なんとかなるのではということに。アメリカ人の友人も手伝ってくれ、初めて英語で入学願書を作りアメリカの大学院に入試を。入試の期限が帰国してから三ヶ月後に迫っていたので、留学を決めてから僅か二ヶ月で勉強し、TOEFLとGREに挑戦。まぁ色々省きますが、Skypeのインタビューも経て、希望大学院に合格。2010年の秋学期からの入学を決めて、以降は大学でのリサーチアシスタントなどをしてバイトをしていました。

2010年の夏、将来の不安とプレッシャーを胸に号泣しながら飛び立ち。修士学生となりました。もうその間の三年間は忙しすぎてあんまり記憶がないです・・・・。でも覚えているのは日本で地震があった時の不安と申し訳なさ。自分だけアメリカで安全な場所にいて、日本に住む友人や家族が大変な思いをしているのにやりきれない思いをしました。それが原動力になり大学内でクラスを回り日本の地震に関することをプレゼンしたりして、パネルディカッションにパネラーとして出席させてもらったりと自分の罪悪感を薄める努力をしていました。でもやっぱり今でも地震の映像や話をすのは辛いです。この罪悪感ってある意味特殊なものだろうなと将来も大切にしていきたいと思います。色々ありましたが、なんとか修士を予定通り3年で終わらせ、卒業。でもグリーンカードもない外国人新卒者を雇ってくれるカウンセリングの組織なんてありませんでした。多分アメリカでの就活は今までで二番目に辛かったかな。カメさんともう一緒だったので精神的にとても助かりましたが、とりあえずお金が困りました。でも卒業して三ヶ月くらいして就職場所が見つかり、カウンセリングとは全然別のNutrition Associate(栄養学を地域に教える仕事)として正社員で働きました。

しばらく働いていて、その間にやっぱりカウンセリングの仕事がしたい・・・。むしろカウンセラーではなく、カウンセラーを養成する立場になって働きたいと思い始めたのが博士号への第一歩。カメさんが博士課程学生だったので彼もすんなり分かってくれましたが、最初私のステップファーザー(母の再婚相手)は反対していました。彼は歴史学の大学の教授なので、第二外国語で取得するのはただでさえ大変な博士号がさらに大変になるということをよく理解した上での親心でした。(でも私が頑固なのを知っているので、最終的には素晴らしい支えとなってくれましたが、よく今でも博士課程で大変なことがあり泣き言を言うと、「Yuima!! What did I tell you!?」(ゆいま、僕がなんて言ってた?)とからかってくれます。でも結局いつも優しいアドバイスをくれるんですけれどね(#^.^#))

その後博士課程入学のための面接がありました。それも奇しくも私の誕生日。2年前のことです。今でもインタビューで聞かれたことは覚えています。
社会構築論の権威の教授(厳しい先生で何度クラスで泣かされたことか・・)が



「もし今回博士課程に入れなくて、将来何度トライしても入れなかったらどうする?( ̄  ̄)………( ̄ー ̄)ニヤ。」



一瞬先生の質問が分からなかったですね。博士号にチャレンジするというのは学問の最高峰にチャレンジするということ。みんな並大抵の覚悟で入学試験を受けていないのに、この質問・・・。正直なめてんのかって思いました。私は確か「自分の夢のためになら博士号入れなくても、他の道探して実現します」てな答えをした覚えが・・・。
でもこの質問で私に火がついたのかなんかのか、後の面接の質問はちょっと喧嘩腰(♯`∧´)。入るからっていう意思を全面に出していきました。ようやく、最後の面接官(面接は合計三回。各回3人ずつの面接官と面接しました)になったとき、その面接官の教授に「You already have decided to get in the program, don"t you?(あなたにとって入学することはもう決定済みなのね) 」とまで言われてしまいました
無事に合格。

同日の面接の後にプロポーズされたのですが・・・

博士課程に入って、そしてプロポーズされて2年が経ちますが、やはり充実した二年間でした。最初の言葉に戻りますが、もしタイムマシンがあって10年前に戻れるなら、10年前の私に「ただ前を向いて、自分と神様を信じてやっていきなさい。10年は短くない。今まで生きてきた以上に充実して長いものだから。」と言いたいです(私クリスチャンです)。無茶苦茶な夢を持ち周りの人(特に母を)ハラハラさせたと思いますが、何よりも私を信じてくれ援助の手を差し伸べてくれた周りの方達が私の人生をこんなに素晴らしく輝かせてくださったと思います。

私の人生の恩師が生前言っていた言葉があります「転んでもただでは起きるな。砂でも石ころでもいいから握りしめて立て。」彼女はまず「Vision(幻、夢)があり、それに向かう Passion(情熱)があり,それを起こすActionがなにごとにも必要だ」とも言っていました。私の人生はまだまだこれから先ありますが、自分のビジョンに向かい後悔のないように、毎日小さい一歩ですが、しっかりと与えられた道を歩いて行きたいと思っています。
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アメリカセントルイス誕生日30アラサー

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4 Comments

poke  

NoTitle

お誕生日おめでとうございます!
10年一区切りと言うけれど、何かしら自分なりに掴むもの、悟るものがありますよね。
私は30を過ぎて、このままこの会社でただただ時間が過ぎていくのもなんだかなあ・・・と思っていたところ、突然アメリカに来ることに。さらに、まさかの妊娠、出産。これで次の10年も以前思っていたものと違うものになりそうです。人生の転機は本当にいつ訪れるかわからないものですね。Yuimaさんの30代も可能性と希望に満ち溢れていますね!
そうそう、私も大学は第一、第二希望に落ちて滑り止めの学校に入りましたが、そこの環境が自分に合っていて楽しかったし、そこで主人と知り合い、さらに今こうしてYuimaさんにコメントをしているわけです(^^)
希望校に受からなかったのも今思えば良いこたえだったのかと思います(笑)

2016/02/13 (Sat) 23:22 | EDIT | REPLY |   

Kiko  

NoTitle

30歳のお誕生日を迎えたのですね。 改めて、おめでとうございます! 

Yuimaさんとは、違う人生を生きていますが、でも、根本的な願い(頑固さを通す?)と言うか、人生への思いが似ています。 だから、いつもYuimaさんのブログを読んで、改めて、初心忘れべからずと自分が20代だった頃を思い出していました。(私は、高校を卒業と同時にこちらへ来ました。)

私にとって30代が一番辛いときだったので、今が、一番、楽しく充実しています。 まだ、40代も何年かあるので、これからもエンジョイしていきますが。

20代を一生懸命生きてきたYuimaさんだからこそ、30代、40代へと実りあるものになりますよ! 私がそうですから。 笑

2016/02/14 (Sun) 07:59 | EDIT | REPLY |   

Yuima  

poke様

ありがとうございます!!
Poke様もいろいろあった方ですものね。
人生本当にわかりません。だから面白いのかも。
Poke様も第一、第二も落ちての大学入学だったとは知りませんでした!
そこでいまの旦那様と出会ったなんて、素敵すぎます!!本当に人生わからないですよね。
私もこの先の10年楽しみです。

2016/02/15 (Mon) 22:32 | EDIT | REPLY |   

Yuima  

Kiko様

ありがとうございます。

確かに頑固さがある意味人生を切り開いていく気はします。私は結構それで無理やり切り開いてきました(苦笑 
高校卒業と同時にこちらに来たとは、本当に強くないと大変ですよね。特にスカイプもなかった時代、Kiko様の強さには心から尊敬いたします。

20代が今の所辛い時期だったのですが、まだまだわかりませんよね。気を引き締めて頑張っていこうと思っています。でも、いまが一番楽しいなんて理想的じゃないですか!!私もKiko様のように人生を輝かせて行きたいと思っています。

2016/02/15 (Mon) 22:48 | EDIT | REPLY |   

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